精神障害遍歴

自己紹介シリーズ
精神障害で苦しんだ仲間と共感し、これからの人生の苦難を共に乗り越えて行く為に
幼少期から時代時代の困難さを振り返ってみました。

◇幼稚園時代

ASD自閉症スペクトラム傾向か?誰とも話が出来なくて偶に一言話しただけで「林田君がしゃべった」と大騒ぎされた。一人で絵を描いたりして一人遊びばかりしていた。寂しいとは思っていなかったが「なぜ、お友達と遊ばないの」と大人達からプレッシャーをかけられるのが辛かった。

◇小学校低学年時代

発達性協調運動障害DCDが酷く不器用で愚図なもので、皆から馬鹿にされたり笑われたり怒られたり虐められたりした。

■小学校3年の時
自律神経失調症で学校をよく休むことになった原因は、診断はされていないものの振り返ってみれば適応障害だったと思う。

◇小学校高学年時代

注意欠陥多動性障害ADHDでミスが多く一つのことに集中できず忘れ物や無くし物が多く、遅刻や先延ばしで学業はボロボロ自尊心が著しく低かった。

◇中学・高校時代

良い先生とクラスメイトに恵まれ空手とかやっていたお蔭か充実した日々を送れた環境に恵まれ特に発達障害で苦しんだ記憶が無い。そうは言っても生来のADHDの症状として実行機能不全などの症状はあり動けない時は、指一本から徐々に動かして何とか立ち上がるなどの工夫と努力を積み重ねていた。

◇渋谷郵便局時代

「私の転職人生」でも書いた通り郵便配達がまともにできず苦しく地獄を見た。特にADHD注意欠陥多動性障害による誤配が酷かった。死にたくなるくらい辛かった。

◇バイク便時代

これは自分の特性に合っていたのか特に苦しむことはなかった。

◇フリーター時代

大鬱を経験し統合失調症の症状にも襲われ始め初めて精神科を受診する。

◇警備会社時代

統合失調症と発達障害の診断を受け当事者会に嵌るようになる。
仕事の方は、営業というADHDには向いているが自閉症スペクトラム障害ASDには合わない仕事なので苦労したのもあり適応障害で精神障害3級の手帳を取得する。

◇ISFネット時代

薬も合い安定してくるものの給料の低さによる不安や会社に対する焦燥感に苛まれる。

◇アパレル会社の事務現行

同じことの繰り返しが多いので自閉症スペクトラム的には向いているがADHDには合わない仕事なので苦労している。

こう振り返ってみると環境に因って障害特性が表れて大変だった時もあったが、反対に良い環境であれば障害が生きづらさになってない時もあったのにも気づく。 それだけ環境が影響するものなのだと感じる。

前の記事

「私の転職人生」

次の記事

自助会遍歴